どん底人生 俺はお前を愛してる

きっと今が人生のどん底。どーしたらいいかわかんないけど、どーにかしないとね。それとも簡単に諦めちゃう?

借金問題で司法書士に相談した結果

借金問題で司法書士に相談した結果

 

AM9時に司法書士事務所にて面談を実施。

僕には個人の負債と法人の負債がある。

個人の負債は法人の運転資金に使用したものだ。

 

個人負債

カードローンが2社で350万円

クレジットカードが4社で250万円

 

法人負債

2か所からの借入450万円

 

合計1000万円の負債となっている。

 

まず、個人の方だが、任意整理は現実的でないと言われた。

よって個人再生か自己破産となる。

 

個人再生の場合

僕個人の借金は200万円に減額される。

毎月5.5万円を3年間払う。もちろん、一括で払っても問題ない。

ただし、クレジットカードは返却、ブラックリストにも登録され、5~7年は新たな借り入れはできないとのこと。アルバイトでもいいが安定した収入が必要となってくる。

 

自己破産の場合

借金は0円となる。ただし、ギャンブルで作った借金や所得隠しがあった場合はできないと。

 

 

法人の場合

法人の選択肢は2つ。

破産し解散するか、代表者を変え存続させるかだ。存続させる場合は当然支払いをしていく必要がある。現実的に借金のある会社の代表になる人がいるかが疑問であるが。

 

同時に破産する場合

会社も僕個人も同時に破産するという選択。これであれば0からのスタートができる。

 

費用概算

次に費用についてだが、概算だけど個人のみの手続きで70万円、会社も併せると120万円ほどの費用がかかるという。これは司法書士によって金額が変わると思うのであくまで概算だ。

 

 

最後に

面談は40分程度で終わった。行く前はすごく気が重かった。電車で行く予定だったが、人の目が気になったため車で行くことにした。

 

面談終了時に、

『今まで受けた依頼で自己破産ができなかったケースは一度もない、しっかりとした手続きを行えばお金の問題は必ず解決する』

と言われ少し安心した。

 

もう一度やり直し、なんとか自分で完済する道はないか探して行く。

どーしてどん底に陥ったのか?最終話

どーしてどん底に陥ったのか?最終話

 

ちょっと長くなり書けなかったのでこちらで。

 

Sと連絡がつかないまま2018年を迎えた。仕事なんかできなかった。

 

やばい、生きていけない。

 

有り金で仮想通貨を買った。

 

出川組と言われる養分の誕生である。

 

起きてるのがきつくて昼間から酒を飲んだ。

 

1月11日 泣きながらSの入院している病院へ行った。

 

小雪がちらついていた。

 

受付でSの名前を告げるも入院していないと。

 

両親が離婚し、再婚し、苗字が違うのかもと粘ったが個人情報保護のためか、そんな人はいないと言われ、どうすることもできなかった。

 

そのまま2月になる。税理士から決算についての連絡があるも、今は考えられないことを伝える。適当にやっといてと。

 

とにかくSの実家に行け!税理士は言った。

 

わかっていた。わかっていたのだけど僕は恐くて恐くて仕方がなかったのだ。Sの状態を知ることがとにかく恐かった。

 

泣きそうになりながらSの携帯に電話した。

 

転送電話になり、Sの夫を名乗る人が出た。

 

Sは1月14日に息を引き取った。と言われた。

 

僕が行った時、もう少し真実を知る勇気があればと生まれて初めて死ぬほど後悔した。

 

 

想像つくと思うけど、Sは本当に結婚していたのだ。

 

当時Sがくれた手紙にははっきりと結婚すると書いてあった。恐い、不安だ。自立できるよう頑張る。私が自立できたらいつか一緒に暮らそう、と。

 

僕は今でもSと一蓮托生だと思ってる。

 

 

その後

ずっとなにもする気が起きなかった。少し動いてはパニックになり、どこに行ってもこの道はSと通ったとか、Sと焼き肉食べたとか、本当にきつかった。酒に溺れた。

 

当然収入は減っていった。支払いをするために借金をする。カードはリボ払いへ変更。督促の電話は無視。今すぐに金が要るとギャンブルする。まさかの仮想通貨ハッキング、車がぶっ壊れると、まぁなにもかもがうまくいかなくて、あっという間に借金が増えたわ。

 

それも誰にも言えずにね。一番相談したい人がこの世にいないって残酷じゃない?借金に悩むとマジで正常な判断できなくなるから注意してね。一番に頭をよぎるのは自殺だよ。

 

それで明日、法テラスに行くことにしたんだ。会社の借金と合わせて1000万円くらい。

 

どうなるのかわからないけど、ブログに書いていく!

 

 

伝えたい事

つらいと思っているのは僕だけじゃないってわかってる。

 

もしもあなたがつらくて誰にも言えない、死んじゃいたい、って思ってるのなら何でもいいからコメントして。

 

借金でどん底だって人、気持ちわかるよ。これマジでやばいよね。周りに相談しても当たり前の事しか言わないしな。経験したことのない人に相談したら余計にきつくなるよね。

 

ただ、めんどくさいなーとか嫌だなーってことほど早めに動けと言うのが父の教え。僕はそれができなかった。

 

これからどうやれば立ち直ることができるのかわからないけど報告していく。

 

順調に人生を歩んでる皆様。本当にごめんなさい。自分の払った税金がこんな屑に使われるかもしれない、って思うと腹が立ってしょうがないよね。どういった形で恩返しできるかわからないけど、受けた恩は必ず返します。だから少しだけ助けてください。お願いします。

どーしてどん底に陥ったのか?再会編

どーしてどん底に陥ったのか?再会編

 

ここから転落していった経緯の本題に入る。長かったがなんとか書き終えたい。

 

明日、自己破産とかの話聞きに法テラスに行くし、そうしないと再出発できない気がするから。

 

当然おもしろい話ではないし、自業自得ってのは十分理解している。非難されることも承知の上で書いていく。

 

うまく伝えれるかわかんないんだけど、伝えたい事はひとつだけ。

 

いざ参る!

 

 

どーしてどん底に陥ったのか?再会編

先に言っておく。起業することは簡単だ。なにも知らなくてもなんとかなる。だけど、先を見通すことができないならするな、とは言わないが、まだすべきではない。世の中の流れは非常に早い。その時はよくても1ヵ月後は通用しない。その都度修正するのは想像以上に大変だ。

 

せどりの会社を立ち上げた僕は必死で働いた。いつかSとまた一緒に笑える日が来ることを信じてた。

 

最初はKと僕、二人が飯を食う分くらいはなんとか稼げた。Kは資金がなくほとんど僕の手出しだったが、いつか暮らしが良くなると信じていたし、生きてる、って感じていた。

 

その年の12月、ちょうどSと連絡が取れなくなって一年が経っていた。僕はどーせ連絡取れないだろうと思っていたが、メールを送ってみた。

 

『やぁ、元気してるだろうか。Sと連絡が取れなくなって僕は落ち込んだけど、今は仕事やめて起業したよ。いつかまた会えると信じてる』的な文面を送った。

 

 

『あんた馬鹿ね。私が勝手にいなくなって拒絶したのに。』

 

驚いたことに返信が来たのである。僕達の糸はまだ完全には切れていなかったんだ、と喜んだ。それからは失った一年を取り戻すかのように、頻繁に連絡を取り合った。

 

年が明け東京へ遊びに行った。すごく久しぶりだったが、違和感を感じることはなくSは当たり前のようにSだった。浅草で電気ブランなるものをごちそうになったり、美味しいケーキを買ってくれた。今までどんなことをしてたのか、お互いの話は止まることがなかった。新宿だったろうか、Sがたまに行くという占い屋に行った。僕は事業に谷もあるけど、なんとなく上手くいくだろうと言われた。Sは30歳に人間じゃなくなると言われてて神化すんじゃね?と笑ったw

 

東京での楽しい時間はあっという間だった。僕たちは次は京都に旅行へ行こうと約束し別れた。

 

僕は帰ってからSと旅行に行く費用を稼ぐためにも働いた。少し焦っていた。せどりは宝探しみたいなものだったが、このころからもっと稼ぐにはどうしたらいいのか、ということばかり考えていた。

 

5月くらいだったろうか、Sと京都に旅行へ行った。Sは東京から、僕は地元から。現地集合だ。僕はSと楽しむためにマリファナを持って新幹線へ乗った。せっかくの京都だったが観光もそこそこに僕たちはホテルで煙をふかした。Sは少し東京での生活に疲れていたみたいで地元に帰ろうかと悩んでいた。『帰っておいで』その一言でSは帰ってくる決心をしたようだった。

 

一ヶ月後、Sは帰ってきた。

 

僕は『祝!帰還』といったくす玉を作り出迎えた。これは結果として上手く割れなかったが。Sの笑い泣きした顔は今でも覚えている。

 

Sが帰ってきてからは2年前のように頻繁に連絡を取り、昔のように会っていた。

 

だが、その年の冬、Sが胸にしこりがあり、検査したところ乳癌であることが発覚した。ステージ4。目の前が真っ暗になった。Sは抗がん剤治療をし、片方のおっぱいを切除した。抗がん剤治療に不安はあったが、Sは元気すぎて困る、食欲もめっちゃあるしご飯もおいしい!と言っていた。いつもと変わらぬ様子に僕は少し安心した。

 

一方会社の方は売上に伸び悩んでいた。人数が一人増えたのだが、そこにきてKが結婚し給料が足りないと言い出していたのだ。この時点で僕はすでにカードローン会社へ300万円の借入をしていた。

 

借金が増え、どうしようかと相談するもKからの返事はどーしたもんかねー、とまるで他人事。僕はキレた。これ以上一緒にやることはできないと伝え、給料を先払いした。

 

僕は友達を一人失ったのである。

 

そして昨年7月、僕は500万円の融資を受ける。300万円くらいは今までの支払いであっという間に消えた。残り200万円でどう再建すればいいのか。僕は50万円を支払い中国輸入コンサルを受ける。

 

少し会社がやばかったのでSと連絡を取る余裕がなかったのだが、融資を受けて生き延びる余裕が生まれた僕は、Sへ連絡をする。元気に働いてる!ホテルの客室清掃のバイトを始めたんだ!と言うSに僕もがんばらないと、と思った。

 

10月、仕事中にSが眩暈がして目の端っこが歪んでるんだと言い出した。嫌な予感がした。すぐに病院へ検査しに行くように話した。

 

Sは脳に癌が転移していたのである。バイトを休み、抗がん剤治療を始めるというSとお昼ご飯を食べに行った。久々に会ったSは開口一番『あれ?なんか背が高くなった?』と言ってきた。Sよお前が小さくなったのだ。僕はそう感じたが言わなかった。

 

僕とSは焼き肉を食べに行った。あまり食欲がないという割にSは僕と同じくらいの量を食べていた。

 

途中で疲れが出てきたとSが言う。僕は自宅まで送っていった。

 

私は負けない、頑張ると言ったSの言葉を僕は信じた。

 

Sはちょうど30歳になっていた。

 

Sが治療のために入院した。病院の受付番号が666番で不吉だわwと写メ付きでラインが届いた。

 

転移した癌のレントゲンが送られてきた。まともに見れなかった。

 

12月24日

『今誰かと会話するだけで体痛くなるんやー』

『面会しんどい』

 

その後Sへのラインは既読になることはなかった。

 

胸が張り裂けそうだった。以前Sが姿を消したときも心配したがそれ以上に。

どーしてどん底に陥ったのか?起業編

どーしてどん底に陥ったのか?起業編

 

転職して結婚するまで色んなことがあったけど、まぁまぁな人生だったかな?と思ってる。

 

もちろん、あの時ああしとけば良かったなーとかは思うところもあるけど、後悔ってほどでもないね。

 

やりたいようにやってきたし。もしかしたら忘れているだけかもしれないけど、結局そのレベルってことで。

 

起業までの道のりをサクッと行きます。

 

どーしてどん底に陥ったのか?起業編

転勤して結婚して、でも別居婚だった。そして離婚した。ってとこは前回書いたんだけど、その後地元に戻ってきたんだ。もちろんサラリーマンのまま。この頃は会社の仕事にも慣れて、日々の業務を淡々とこなす毎日。問題はなく過ごしていた。

 

ただ、すごくつまらない、刺激がない、毎日が同じことの繰り返しに嫌気もさしていた。まだ30歳にもなってなかったのにすでに飽きていたのです。

 

後30年以上もこの会社で働くの?って。多分みんなそんなこと考えたことあるんじゃない?もし考えたことない、って人は凄くうらやましい。それはリアルが充実している証拠だよね。僕はリアルが充実していなかったんだと思う。

 

でもね、地元に帰ってきてから今までの人生で一番好きだと言える人に出会ったんだ。

 

僕はその人(S)と付き合い、同棲し、凄く幸せだったよ。

 

Sは少し変わっていて、不思議な人だった。雑学に詳しく、社会を斜めから見ていた。昔GONって雑誌があったんだけど、初めてGONの話題ができる相手が身近にいたんだ。外山恒一や、時計仕掛けのオレンジ、京極夏彦の『死ねばいいのに』とかに偏った2人は感性が近かった。唯一意見が分かれたのはコロコロ派かボンボン派か。

 

生い立ちや今までの人生には深い闇を抱えていたんだが、そんなことはどうでもよかった。好きだったし尊敬してた。

 

だけどね、ある日突然Sは姿を消した。一言サヨナラと書き残して。

 

当然僕は探した。すぐに見つかったんだけど、なんか関係はうやむやになってたんだ。上手くは言えないけど、Sの言葉を借りるのであれば僕たちは一蓮托生。しっくりきた。

 

結婚とかどうでもいいんだけど一生付き合っていきたい、そう思っていた。

 

僕とSは別れてからも頻繁に連絡を取り合い、会っていた。そんなある日、Sがこんなことを言い出した。『ある人と結婚することにした』と。だからもう会えないと。

 

Sは自暴自棄になって婚約の申し込みを承諾してしまったと言っていたが、真相は分からない。そのときちゃんと聞いておけばよかったんだが、僕はショックだった半面、まだ先の話だろうと、もっと実力をつけてずっと一緒にいれる環境作らなきゃ!と決意した。

 

その年の冬にSは東京に出て行った。東京で仕事をし、一人暮らしをすると。Sが東京に行っても連絡を取り合っていたのだが、ある日を境に連絡が取れなくなってしまった。

 

ここで僕の人生が動き始める。今の仕事は不自由だ。Sがどこで何をしているのかわからない。いますぐにでも飛んでいきたいが行ったところで何ができる。とにかく自由な時間とお金が必要だ。

 

起業するしかない!←ちょっと短絡的だよねw

 

でも僕は本気だった。なにが自分にできるだろうかと考え、とりあえずせどりなら出来そうだ。という結論に至った。物販なんかしたことなかったし、PCの知識もなかったんだけど、やってみたら意外とできた。素人がアマゾンに店舗を構え、出品する。それが売れるってことに驚いた。副業だったけど売り上げは伸びていき、これ専業になれば普通にいけるんじゃね?と。そこからの動きは早かった。Sが去った翌年の夏には会社を辞め、中学時代のKを誘い起業した。

 

最初お金が全然なくて苦しかったけど、気合で働いた。え?為替FXの500万円?とっくにロスカットされ、借金だけが残ってましたけど?

 

32歳、丸坊主にして人生の再出発である。

どーしてどん底に陥ったのか?転職編

どーしてどん底に陥ったのか?転職編

 

朝からぶっ続けで書き続けてるんだけど、ちょっと目がチカチカしてきた。こんだけ何かに集中したのっていつぶりだろう?

 

全くなにも解決してないんだけど、少し気持ちが落ち着いてきた気がする。

 

もし同じようにどん底や!って人がいたら人生振り返ってブログ書いてみたら?

 

どーせ誰も読んでないし、ぶちまけてみたらいいじゃん。

 

大手金融会社に転職

なんだかんだ順調にステップアップしてるくない?当時はどうやって潜り込んだ?ってみんなに言われてた。

 

ただ正月の求人広告でたまたま募集があったからそこに応募しただけなんだけどね。

 

面接は必殺の『そこらへんの同学年には負けません』でやりとおした。お堅い会社に突然現れた茶髪のピアス穴が大きな新人。

 

入社した後に知ったけど業界No1的なとこで、誰もが知っている的な。名前は聞いたことあるけどくらいに思ってた。そんなことより整備士という男臭い職場から脱出し、一生ここにしがみついて生きて行こうと思った。

 

その一方でスーツを着て、満員電車に揺られ通う自分に違和感を覚えていた。昔ずっと聞いてたブルーハーツの『ラインを超えて』が頭の中で繰り返し流れてた。

 

とはいえ心機一転、両親も一安心してたし、あとは結婚して家庭を持てば大団円やな、と。

 

仕事は最初はきつく、一年くらいで辞めそうになったけど、転勤になることが決まって続けることができた。

 

この頃は高校辞めた後にゴミ捨て場まで助けにきてくれたA子と付き合いはじめた。で、僕は転勤していたんだけど微妙な中距離恋愛だったんだよね。隣の隣の県みたいな。

 

付き合うっていっても高校時代からの付き合いだったし、このまま結婚するんだろうと思ってた。ただ気がかりなのはA子もメンヘラ気質だったところ。で僕が専門学校に行っている間にキャバクラ嬢へとクラスチェンジしてたんだ。

 

付き合い始めて1,2年後に結婚してくれなきゃ死んじゃう、って言われて結婚することになった。あれ?ちょっと地雷臭がするぞ?と思ったんだけど、こっちは安定した仕事だしなんとかなるっしょ、って。

 

結婚するってなってからA子は少しずつ変わっていった。なんかマリッジブルーみたいな踏ん切りがついていないみたいな。でもどんどん話は進んでいくわけですよ。一方僕は楽観的だった。どうにかなるっしょ、と。で結婚したんだけど、A子は地元を離れたくない、と一緒に住むことを拒んだ。楽観的な僕は1,2年で地元に戻る予定だからそれから一緒に住めばいいやーとか思ってた。

 

だけどやっぱり変だよね。結婚したのに単身赴任って。一緒に住んでないのに生活費を送るって。

 

当時会社の資格試験で珍しく勉強をしていたんだけど、毎日の電話が苦痛で仕方なかった。そんな毎日話題もないし、勉強しなきゃだしお互い無言になるし。もう少し心にゆとりがあったらと今でも後悔しているけど、その当時はそんなゆとりなかった。不満が溜まっていって離婚した。なんかこの頃の記憶はよく覚えていないんだよね。

 

でも、この頃もパチンコに行ってた。小さな組織だったんだけど直属の上司がパチンコ好きでね、いっつも仕事帰りに行ってた。そしてこのころは超円高だった。為替FXでてきとーに買ってて気付いたら資産が500万円くらいになってて、お金のありがたみとかあんまり感じてなかったなー

 

そんな感じで4年ばかし転勤し、地元に戻ることになった。ここで運命の人に出会う。

どーしてどん底に陥ったのか?就職編

どーしてどん底に陥ったのか?就職編

 

今までの人生を振り返り、ギャンブル依存症がどうやってできていくのか見つめ直している。僕はいつの時代もどこかでギャンブルしている。

 

専門学校時代もそんなに勝てていないんだと思うけど、なんか負けた記憶がないんだよね。

 

で、これって多分、脳の中で嫌な記憶を忘れているだけなんだろうと思う。昔はよかった、っていう人多いけど、昔も嫌なことがいっぱいあって、でも嫌な記憶は薄れていってるだけなんじゃね?

 

今、僕はどん底だと思ってるんだけど、この記憶も将来薄れていくのは困る。また同じことを繰り返しちゃうんじゃないかって。

 

だから今覚えている範囲でこうしてブログに書いておこう。ちょっと恥ずかしいのだけど。

 

就職編

ぎりぎりだった。MAJIDE。

専門学校の終わり頃にはみんなどんどん就職先が決まっていったんだよね。で、僕はというと、なかなか決まらなかった。トヨタの専門学校だからトヨタ系の整備士に有利なのは当然なんだけど、受からなかったんだよねw

 

出席日数ギリギリだったのと、経歴に問題があるというか、なんか覚えてないけど面接で嘘をついてしまった気がする。しかもとっさについたからバレバレなやつ。どんな嘘をついたのか思い出したいけど、思い出せないってことは多分これも嫌な記憶で薄れているんだろう。

 

で、どうしたかと言うと、外車ディーラーへ面接を受けに行った。その時の面接は覚えてる。

 

面接官『なんでトヨタに行かないの?』

僕『トヨタの面接に落ちたからです。学校さぼり気味だったりしたのが原因だと思いますが、そこらへんの同学年には負けない経験をしています』

 

と、まぁこんな感じ。後から聞いた話だが、もう採用枠は埋まっていて時期外れに面接にきた僕を『おもしろそうなやつが来た』って理由で急遽採用したらしい。

 

初めての仕事は最初戸惑った。今までのバイトとかとは違って責任感っていうの?なんかそんな感じ。高級車だったからやっぱ気を遣う。

 

地元に戻ったこともあって悪友ともまた遊ぶようになった。働きだした僕たちは学生時代より少しお金に余裕があった。休みの日は違法な煙を吸い込んでゲラゲラ笑い、飲み屋やパチンコ、風俗に行く。

 

仕事は真面目だったけど私生活は酷かった。なんか周りに薬物が蔓延してたんだよね。で僕はハードなとこまでは行ってないけどマリファナとかMDMAくらいはすぐに手に入る感じ。

 

合法ドラッグが社会問題になるまで続いた。捕まった友達もいる。

 

若かったし、仕事が忙しかったのもある。労働環境は今ほど整備されてなくて(今もひどいがw)僕は黄色い太陽の日差しにフラフラになりながら9時~0時過ぎまで高級車を整備するといった危険なことをやっていた。それが当たり前と思ってたしね。

 

整備士の仕事は3年間続けた。この頃は少し大人になっていて、この先どうなるんだろうと漠然とした不安や苛立ちを抱えていた。そして転職を決意するのであった。

どーしてどん底に陥ったのか?専門学校編

どーしてどん底に陥ったのか?専門学校編

 

なんだかんだ屑だが、まだ僕のどん底人生は続く。もし読んでくれる人がいて、嫌な

気持ちになったりするんじゃないか、とか今考えてる。

 

でもこれは僕のどん底人生だし伝えたい事はまだまだ先の未来のこと。

 

僕は今36歳だから、端折りながらだけどやっと半分書いたところ。

 

ほんと書いてて自分が嫌になってくるわw

 

 

専門学校編

大検をとった僕は題名の通り専門学校へ進学するのであった。

 

といっても特に学びたいことはなかった。高校編で書きそびれたんだけど、僕は高専の物質工学課へ行ってた。建築科や電気科とかあったけど、物質工学課へ進んだ理由を一応話しておこう。

 

我ながら理解できないのだが、大真面目な話である。『物質工学』と聞いて何を想像するか考えてほしい。

 

当時の僕は動物を研究する学科だととんでもない勘違いをしていたのだ。いやマジでwしかも一年生の前半までこの勘違いは続いた。金属の授業とかあったけど全然おもしろくなく、早く動物の授業始まんないかなー、って思っていた。

 

いいわけだが、この失敗は今思えば馬鹿らしいんだけど、興味がない物へ興味を持つことは大変なのである。全ての失敗は高校編で始まっていた可能性もあると分析する。

 

話を戻す。

 

専門学校編(一年生)

なんの専門学校へ行くのか、目標はすぐに決まった。僕は昔からプラモデルが好きで、小さい頃はゾイドにはまっていた。歯車等の機械の構造が好きだったのである。で、自動車の専門学校を目指した。しかも何を思ったのか、どーせ行くならトヨタっしょってことで神戸にあるトヨタの専門学校を受験したのである。

 

自動車専門学校の中では上位ランクで入学倍率も高いと聞いていた。当然ながらトヨタへの就職も有利であると。

 

まったく勉強しなかった人間が受験勉強するはずもなく、試験に臨み、面接では退学した理由や目立つピアス穴を指摘され、あ、これ無理だなーって思ったけどなぜか受かった。不思議

 

ということで晴れて神戸で生活を始めることとなったのである。専門学校では寮に入らず、初の一人暮らし。1Kの小さなアパートだったけどこれからの生活に胸を躍らせていた。

 

キャバクラ勤め時代の彼女Nとは遠距離恋愛だったがメンヘラ束縛がきつかったためそういった意味でも解放感を感じていた。

 

と、思ってたのも束の間。入学して1週間後に神戸へ彼女がきちゃったのである。ここから同棲生活が始まる。同棲って聞くと憧れを抱く人もいるかもしれないが、若かった僕は苦痛を感じていた。というのも、ケンカをしたときに逃げ場がなく、どちらかが家を出たりすることがしょっちゅうあったからだ。

 

こんなこともあった。

N(タバコを吸いながら)『謝らないならこのタバコでジュっとするぞ』

僕(こいつ試してやがんな)『は?やってみろや』

N(無言でジュっ)

僕『ごめんなさい(/_;)』

 

最後はドラマとかで見る『あなたを殺して私も死ぬ』と包丁がでてきて、まさか自分の身にこんなことが起こるなんて思ってもいなかったが、前述の通りマジでやるNに怯えなだめながら修羅場を乗り切り一年くらいで別れてもらった。

 

専門学校編(二年生)

専門学校時代はまじめに学校へ通っていたため問題なく二年生になることができた。このまま卒業まで耐えて就職して生きて行くんだ。危うさもなくスタートした二年生の始業式の朝、僕は近所のパチンコ屋に並んでいた。

 

リニューアルオープンだったから。朝から始業式に行かずパチンコ屋に並ぶとはどうしようもないやつである。開店後、台に座り投資が進む。そんなとき隣に一人の男が座ったのである。

 

知った顔である。どうしようもないやつがもう一人いた。一年生の頃には違うクラスだったが顔は知っていたやつで、見るからに田舎のヤンキーT。一方僕はシティボーイを気取っていたからそんなTを毛嫌いしており、こいつとは絶対友達になれないわーとか思っていた。

 

結局僕は持ち金がなくなり自宅に帰った。翌日はちゃんと学校に行った。新クラスに入るとそこにはTがいた。その後卒業までTと行動を共にすることになり、今でも関係は続いているのである。

 

Tと僕は似てなかったがなぜかウマがあった。Tのいない間にTの家へ勝手にデリヘルを呼んだことは今でも笑い話だ。Tとはパチンコにもよく行った。

 

なんでこんな話をするのかと言ったら、ギャンブルがどん底人生に少なからず関わっているからだ。僕もTもこの頃の思い出が残っている。当然大負けしたこともあるのだが、それ以上に勝ちやすかった時代で、ハイエナだけで40万円とかの収支を出していた。

 

ごく簡単にお金を手にできていた。あの時代はよかったなーって今でも思う。