どん底人生 俺はお前を愛してる

きっと今が人生のどん底。どーしたらいいかわかんないけど、どーにかしないとね。それとも簡単に諦めちゃう?

どーしてどん底に陥ったのか?高校留年後

どーしてどん底に陥ったのか?高校留年後

 

高校までの経歴を振り返ってみたけどまぁまぁ酷かった。全てを書くことはできないから端折ってるけど。それが青春時代、楽しかった。

 

僕はアウトローとかヤンキーではない。好き放題やったらこうなってたってだけ。普通の超快楽主義者

 

とにかく青春時代はまだ続くのであった。

 

高校留年後

高校を留年してしまいその後どうなったのか。選択肢は2つ。僕は迷わず退学の道を選んだ。母親は大反対したが、父親はいいんじゃない?と。

 

ここまで迷惑をかけているのに父親の寛大さは凄い。寛大さで言えば父親と僕の性格は似ている。しかし父親の性格に超快楽主義者というアビリティを持ったのが僕だ。

 

高校を退学することが決まった僕の両耳には大きな穴があった。ボディピアスである。この穴は塞がることなく、今も空いている。

 

高校退学後、厳格な性格のじーちゃんは口をきいてくれなかった。僕の方もじーちゃんに心を開けなかった。

 

晴れてフリーターになった僕は地元に戻った。特にやりたいことはなかったんだが、アメ車(ローライダー)かっけぇ!って理由で地元の中古車屋に凸し、雇ってくれといった。今思えばなんか若さってすごいなと思う。給料は良くなかったし、半分ヤ〇ザな感じだったが知らない顔して洗車やら雑用をしていた。

 

おっさん先輩に連れられ、夜の街に繰り出す。キャバクラで遊んでナンパをする。今思えばおっさん先輩はなんでそんなにお金を持ってたのだろう?不思議。

 

まぁそんな生活だから未来もなにも考えてなかった。友達とパチンコにもよくいった。お金なかったけどあんまり金欠だったイメージはない。なんでだろう?不思議。

 

そんな息子の将来を心配した両親は予備校へ通うように言った。入学金だけでも大金がかかると思うのだが...。だが、お察しの通り僕は予備校に入学したが行かなかったのである。

 

予備校に入学した手前、車屋を辞めることになった僕は、17歳の若さで福岡の中州で夜の仕事を始める。仕事内容はキャバクラのキッチンでドリンクや簡単な料理を作る仕事。

 

ボーイが店の女の子に手を出したとか、金を持って逃げたとか、よく聞く話を実際に見てきた。キャバ嬢達の愚痴を聞いて裏の顔を知ったのもこの頃。

 

中州で知り合ったメンヘラセクキャバ嬢Nとも付き合いだした。あ、だからお金に困ってなかったんだ!(控えめに言って屑)

 

夜の街で働くということは、飲みに行く機会も増える。朝まで飲んで、ゴミ置き場から高校生だったA子(後で出てくる)に助けを呼んだこともあった。A子は都合のいい女だった。

 

(この頃のことなんか、もっと簡単に書けると思ったけど、書くことがいっぱいある。僅か一年だったのに濃ゆかったんだな。)

 

同学年の高校生と同じように進路を修正するためにはどうすればいいのか?答はそんなに難しくなかった。大検をとればいいのだ。僕は一応2年生まで高校に通っていたため、4教科を受験することになった。

 

大検はそんなに難しくない。というか僕にとっては楽勝だった。当時の僕は非常に目が良かったのである。そう、カンニングである。僕がした努力は少しだけ早く試験会場へ行き、頭の良さそうな受験生の隣の席を確保する。それだけだった。

 

ということで僕は次の切符を大した努力をせず手に入れてしまったのである。

どーしてどん底に陥ったのか?小~高校時代

どーしてどん底に陥ったのか?小~高校時代

 

超快楽主義者だった僕は、昔からお金にだらしなかった。

やりたいことはやるし、お金を借りることに抵抗はなかった。

 

いっぱい失敗したけど、なんとかなってたしね。

 

僕は教師一家に生まれた。じーちゃん、ばーちゃん、両親と教師だ。ねーちゃんは優秀で大学で研究員?をしている。(なんの研究か話を聞いてもさっぱりわからんが)

 

そんな一家だから小金持ち、って感じ。生活に困ることはなかったし、やりたいことはさせてくれた。

 

小学生時代

小学生の頃はまだ大丈夫だった。やらかしてしまったエピソードは少ない。ひとつ挙げるなら、夜中に家を抜け出し、父親の原付を盗んで反対車線をノーヘルで爆走。死にかけたくらいだ。あ、あとダイヤルQ2(エロ電話)にはまり電話料金の請求が10万円くらい来てばれたくらい?

 

中学生時代

中学時代には、エアーマックスが流行りエアーマックス転売をしていた。やり方は簡単。土日の朝にナイキショップに行き、1万5千円のエアーマックスを買う。それを街のショップに3万5千円で売るといったもの。めっちゃ儲かった。だけど教師に見つかり両親を呼ばれ大問題に。どうやら楽に金を稼いだらダメということだった。近所のディスカウントストアで靴を盗み、捕まったこともある。

 

学校は鼻血が出たとかいう理由で毎日午前中さぼってた。塾に行ったふりをして親の財布から盗んだ金でゲーセンに通っていた。勉強してなかったんだけど、テストはそこそこできてた。9教科の5段階評価で平均27点だけど、17点しかないという散々な通信簿だったけどw

 

高校生時代

そんなこんなでそこそこ頭がいいと言われる高専に進学。親元を離れ寮生活を始めた。高専の生活は酷かった。今は違うだろうが、一年生には人権などない。夜な夜な談話という名のしごきがあった。真っ暗な部屋に集められ、正座をさせられる。両手を上げさせられ少しでも下げると蹴りが飛んでくる。これが2時間程続く。ラグビー、サッカー、野球部はまだいい。先輩の権力が強いのだ。僕は上下関係とか嫌だったのでハンドボール部という超弱小に入部した。そのため吹奏楽部の文科系部と同様、最後まで居残りさせられた。

 

そんな過酷な生活だったが、なんとか半年ほど乗り切り、寮生活にも慣れてきたころに問題を起こしてしまう。弱小ハンドボール部の一年生3人でやってたチャリンコ盗難コレクションがばれたのだ。河原にズラッと30台程並べたチャリンコ。僕たちは意味もなくチャリンコを盗んでたのだ。今思えば何が楽しかったのだろうか…

 

速攻で親を学校に呼ばれ、無期限停学をくらい、談話でボコボコにされた。当然であるw

 

心を入れ替え、勉強や部活に励む、それが本来の姿なのだろうが、反省はしていなかったのだろう。バイクの免許をとり、違法改造をし、河原に隠すのであった。夜中に寮を抜け出して悪友達と隣県まで遊びに行く、学校は行かずにパチンコ屋へ行ってた。童貞を捨て、悪名高いスタービーチという出会い系を利用し、色んな女に手を出した。シンナー中毒者に刺されそうになったこともある。

 

当然、テストは赤点。出席日数も足らず、無事2年生で留年することが決まった。

どん底から生まれ変わることができるのか?

どん底から這い上がった人の話をネットで見ていたところ、携帯が鳴った。

中学時代の友達からの電話だ。

 

出れない。着信が切れるのを待った。

 

とにかく今はどん底だから、って理由で今年に入ってからずっと連絡を取っていない。

 

多重債務に陥ってしまい、八方ふさがり、両親に全てを打ち明けた。←いまここ

 

仕事は自営業だが上手くいっておらず、自殺を考えていた。

 

と、ここでまた着信。父親からだ。

 

『明日の9時に法テラスへ予約をとった。持っていくものは実印、免許証、督促状や債務がわかるもの。』とのこと。

 

正直、超めんどくさいし逃げ出したい気持ちで鬱だけど、『ありがとう』と伝えて電話を切った。

 

ブログ始める時間があればなにか必死にやれよ、という声が聞こえてきそうだけど備忘録になればなーと思ってる。