どん底人生 俺はお前を愛してる

きっと今が人生のどん底。どーしたらいいかわかんないけど、どーにかしないとね。それとも簡単に諦めちゃう?

どーしてどん底に陥ったのか?専門学校編

どーしてどん底に陥ったのか?専門学校編

 

なんだかんだ屑だが、まだ僕のどん底人生は続く。もし読んでくれる人がいて、嫌な

気持ちになったりするんじゃないか、とか今考えてる。

 

でもこれは僕のどん底人生だし伝えたい事はまだまだ先の未来のこと。

 

僕は今36歳だから、端折りながらだけどやっと半分書いたところ。

 

ほんと書いてて自分が嫌になってくるわw

 

 

専門学校編

大検をとった僕は題名の通り専門学校へ進学するのであった。

 

といっても特に学びたいことはなかった。高校編で書きそびれたんだけど、僕は高専の物質工学課へ行ってた。建築科や電気科とかあったけど、物質工学課へ進んだ理由を一応話しておこう。

 

我ながら理解できないのだが、大真面目な話である。『物質工学』と聞いて何を想像するか考えてほしい。

 

当時の僕は動物を研究する学科だととんでもない勘違いをしていたのだ。いやマジでwしかも一年生の前半までこの勘違いは続いた。金属の授業とかあったけど全然おもしろくなく、早く動物の授業始まんないかなー、って思っていた。

 

いいわけだが、この失敗は今思えば馬鹿らしいんだけど、興味がない物へ興味を持つことは大変なのである。全ての失敗は高校編で始まっていた可能性もあると分析する。

 

話を戻す。

 

専門学校編(一年生)

なんの専門学校へ行くのか、目標はすぐに決まった。僕は昔からプラモデルが好きで、小さい頃はゾイドにはまっていた。歯車等の機械の構造が好きだったのである。で、自動車の専門学校を目指した。しかも何を思ったのか、どーせ行くならトヨタっしょってことで神戸にあるトヨタの専門学校を受験したのである。

 

自動車専門学校の中では上位ランクで入学倍率も高いと聞いていた。当然ながらトヨタへの就職も有利であると。

 

まったく勉強しなかった人間が受験勉強するはずもなく、試験に臨み、面接では退学した理由や目立つピアス穴を指摘され、あ、これ無理だなーって思ったけどなぜか受かった。不思議

 

ということで晴れて神戸で生活を始めることとなったのである。専門学校では寮に入らず、初の一人暮らし。1Kの小さなアパートだったけどこれからの生活に胸を躍らせていた。

 

キャバクラ勤め時代の彼女Nとは遠距離恋愛だったがメンヘラ束縛がきつかったためそういった意味でも解放感を感じていた。

 

と、思ってたのも束の間。入学して1週間後に神戸へ彼女がきちゃったのである。ここから同棲生活が始まる。同棲って聞くと憧れを抱く人もいるかもしれないが、若かった僕は苦痛を感じていた。というのも、ケンカをしたときに逃げ場がなく、どちらかが家を出たりすることがしょっちゅうあったからだ。

 

こんなこともあった。

N(タバコを吸いながら)『謝らないならこのタバコでジュっとするぞ』

僕(こいつ試してやがんな)『は?やってみろや』

N(無言でジュっ)

僕『ごめんなさい(/_;)』

 

最後はドラマとかで見る『あなたを殺して私も死ぬ』と包丁がでてきて、まさか自分の身にこんなことが起こるなんて思ってもいなかったが、前述の通りマジでやるNに怯えなだめながら修羅場を乗り切り一年くらいで別れてもらった。

 

専門学校編(二年生)

専門学校時代はまじめに学校へ通っていたため問題なく二年生になることができた。このまま卒業まで耐えて就職して生きて行くんだ。危うさもなくスタートした二年生の始業式の朝、僕は近所のパチンコ屋に並んでいた。

 

リニューアルオープンだったから。朝から始業式に行かずパチンコ屋に並ぶとはどうしようもないやつである。開店後、台に座り投資が進む。そんなとき隣に一人の男が座ったのである。

 

知った顔である。どうしようもないやつがもう一人いた。一年生の頃には違うクラスだったが顔は知っていたやつで、見るからに田舎のヤンキーT。一方僕はシティボーイを気取っていたからそんなTを毛嫌いしており、こいつとは絶対友達になれないわーとか思っていた。

 

結局僕は持ち金がなくなり自宅に帰った。翌日はちゃんと学校に行った。新クラスに入るとそこにはTがいた。その後卒業までTと行動を共にすることになり、今でも関係は続いているのである。

 

Tと僕は似てなかったがなぜかウマがあった。Tのいない間にTの家へ勝手にデリヘルを呼んだことは今でも笑い話だ。Tとはパチンコにもよく行った。

 

なんでこんな話をするのかと言ったら、ギャンブルがどん底人生に少なからず関わっているからだ。僕もTもこの頃の思い出が残っている。当然大負けしたこともあるのだが、それ以上に勝ちやすかった時代で、ハイエナだけで40万円とかの収支を出していた。

 

ごく簡単にお金を手にできていた。あの時代はよかったなーって今でも思う。